朔太郎、健康について考えるの巻

実体験
たまも
たまも

朔太郎くんの先生、玉藻です。

今日は私、朔太郎が健康について考えている事をまとめてみたいと思います。

国際薬膳師をしているとよく健康オタクのように思われますが、実際にはそうでもありません。

実は私、哲学畑の出身でして哲学をガッツリやり込んだという経験があります。

それを基にして私の考えが構築されています。

ちょっと特殊かもしれませんが、ここで簡単にでもまとめて伝えられたらいいな、と。

では、本題に入っていきましょう。

体はフィルターのようなもの

私、朔太郎は全ての価値は体がフィルターとなり取捨選択、価値判断されると考えています。

価値、というとお金のイメージが強いですが、ここでは幸福感のような精神的な資産も含めて考えてください。

例えば健康状態を良好なまま維持できれば、やりたい事を精力的に出来ます。

趣味に打ち込む事も出来る、会いたい人に会って楽しく過ごせる、仕事に精を出せる、大切な人の為に動ける、美味しいものを食べる、穏やかに過ごせるetc。

それによって生み出される価値は数値化できないほど大きなものです。

しかし、こうした価値は満足に動けるからこそ生み出せるものでもあります。

満足に動けない状態では受け取るものが濁り、鈍くなり、良いものであってもそう感じられない事が多くなるんです。

私は坐骨神経痛を持っていますので、動きたくても動けない人の気持ちがよく分かるんですよね。

寝たきりの時は本当に気持ちが陰鬱としていたよ。

歩けるようになるとただの散歩でも本当に幸せを感じたなぁ。

また人に話すと小説や映画のようだと言われる、ちょっと特殊な苦労をした時期も長かったです。

心身の問題によって動きたくても動けない。

これは本当に辛いものでもありました。

素晴らしい価値を手に入れるには健康な心身が大前提なのだと、これまでの人生で痛感したんですよね。

体はフィルターのようなもので、良いものを受け入れ悪いものが入るのを防いでくれる役目を果たしている、というのが私の考えです。

だからこそ、全ての価値は体をフィルターにして得られると思っています。

 

体は誰のものか?

健康な心身は価値を生み出し、受け取る大前提。

では、その体は一体誰のものなのでしょうか?

「当然、自分のものだ」と誰もが答える質問です。

そこで中医学の古典である金匱要略(きんきようりゃく)から、多少長いですが引用してみましょう。

引用部分を読んだ後「体は誰のものなのか?」という問いを、再度考えてみてください。

百年の寿命、まさにそこに至る貴き重器である身体を、凡庸な医師にゆだね、勝手気ままにさせておき、咄嗟に暗く鳴く。

既にその身は死に、心気は消滅し、異物と変わり、重泉にさまよい潜むように、いたずらに嘆くだけである。

それは昏迷の世を持ち上げ、自覚することなく、本文を自ら捨て、その者の栄勢というのは何であったのだろうか?

批判的な部分が多いので、全て同意出来るわけではありませんが、自分の体は自分のものであるという意志を持つ事の重要性は伝わって来ます。

例えばストレッチ、栄養バランスを考えた食事、十分な睡眠と運動。

こうしたものって、自分の努力次第でどうにか出来る部分もありますよね。

時間がない人、体力がない人それぞれの事情は異なりますので、全てが努力だけでどうにか出来る訳ではありませんが。

体は自分のものであるはずなのに、健康の維持については誰か任せになっている場合があるのではないでしょうか。

さくたろう
さくたろう

自分の体はまず自分で大切にしなくちゃね!

出来る範囲で良いのでまずは自分でケアをする、制御しようと努める事。

私はこれがとても重要だと考えています。

原則的に健康は守るものであり、守ってもらうものではありません。

能動的に守っていくものとして体を見た時、私たちには小さな事でも出来るものがあると気付きやすくなります。

体はフィルターのようなものですから日頃のお掃除が大切です。

フィルターは放っておくと詰まって機能を果たさなくなりますからね。

 

自分らしい体

自己啓発系の本で言う自分らしさを求めて欲しい、とは思いません。

以前読んだ本の中で終末期医療についての話題がありました。

ホスピスに入っている肺がん末期を迎えた男性は、毎日タバコを吸うのだそうです。

もちろん、健康という面だけで考えれば許してはいけません。

しかし、それがその人らしい終末の過ごし方なのだと、施設管理者は考え喫煙を止めなかったそうです。

私が考えている「自分らしい健康状態」とはまさにこうしたものなんですよね。

さくたろう
さくたろう

お酒好きな人からお酒を取ったら毎日がつまらなくなるでしょ?

そんな感じ!

健康になる事だけが最上の価値ではありません。

その人にとって必要な毒もあります。(依存症とか病的なものは除いて)

私は国際薬膳師なので健康について関心が高いですが、某アメリカ発フライドチキン大好きですし。

あくまでも自分が納得の出来るライフスタイルを送るために、体を整えていくというのが私の理想でもあります。

 

まとめ

私は健康に関する薬膳の方面からのアドバイスを送る事が多いです。

しかし、不健康なもの全てを排除しなければいけないとは思っていません。

そうしたものも、人には必要な時があります。

でも、自分の状態を整えたいのに満足にできない、と悩んでいる人はぜひ相談してみてください。

何かお手伝いできることがあるかもしれません。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました